急遽日本へ
2015-07-17


母の急逝の知らせを受け、急遽日本へ。日本の未明に息を引き取ったので、昼過ぎに連絡を受けた。一報を父から受けた時は、無理して来なくても良いとは言っていた為、上司には取り敢えず、母の急逝と日本への一時帰国は家族と相談してから決めると連絡。

子供達を驚かせないようにと、平静を装い帰宅。妻には子供達が離れた隙に、そして子供達には夕食後に伝えた。食事中に涙が止まらず席を離れた妻に、息子はタマネギでもしみたのと気を遣っていた。子供達も驚ろき、悲しんでいた。日本の父と連絡を取るとやはり来て欲しいとの事だった。色々と負担が大きいので、私だけで急遽航空券を手配した。子供達は時差ボケのせいで、夕方から夜に掛けては寝こけてしまう。上司には深夜に報告のメールを準備した。有難いことに、何か事情が変わったら事後報告になっても良いと言われていた。

母は昔受けた輸血のときに C 型肝炎に感染していた。色々な合併性に苦しみつつも、長い間それなりの小康状態に落ち着き、近場を中心にあちこちと旅行も楽しんでいた。二ヶ月程前に、少し体調が悪いので入院すると言ったときも、いつものように少し休んでから退院できると思っていた。母にも冬に一時帰宅を考えていると伝えてあり、それまでには直しておくと言っていたものだったが。

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